エスシステム  S System, Inc.
ORCA PROJECTLABO統括情報eラーニング政党注目企業経費節減喫茶室お問合せ
HOME会社概要PCSEOSEMコラムネットNPOコピペSSYSTEM NETよりセキュリティ
広告バナーアフィリエイト企業倫理BLOGPB商品ROGO文例INDEXサイバー犯罪相談窓口
サイトマップ
ドッグファイトの科学 (戸津井康之氏の銀幕裏の声・ご紹介)

赤塚聡さんが空中戦を科学的に分析した「ドッグファイトの科学」(サイエンス・アイ新書)
Amazon.co.jp: ドッグファイトの科学 知られざる空中戦闘機動の秘密

【銀幕裏の声】(上)最大"9G"、元F15パイロット"異色の航空カメラマン"が撮る
ドッグファイト


富士山上空を通過するブルーインパルスの編隊(赤塚聡さん提供)
 今年は航空自衛隊創設60周年。空自が誇るアクロバットチーム、ブルーインパルスの
飛行技術を科学的に解説した新刊「ブルーインパルスの科学」(サイエンス・アイ新書)を
上梓(じょうし)した赤塚聡さんは空自戦闘機F15イーグルの元パイロットという
異色の経歴を持つ航空カメラマンだ。空自救難ヘリの女性パイロットを主人公にした映画
「空へ−救いの翼 RESCUE WINGS」(平成20年)では、その経験を買われ、
空撮カメラマンとして参加。上空での迫力あるドッグファイトのシーンを撮影している。
航空映画にも造詣の深い赤塚さんに、知られざる"空撮の世界"の舞台裏を聞いた。
(戸津井康之)

空撮はGとの戦い
 激しく機体を上昇降下、宙返りさせながら、敵機後方に回り込みトリガーを引く−。
ドッグファイトと呼ばれる臨場感あふれる空中戦の場面が、「空へ」の中で披露され、
観客を驚かせた。 この空撮の撮影を担当したのが赤塚さんだ。
 飛行中の戦闘機パイロットの身体には絶えずG(重力)がかかり続け、空中戦では
最大9G(体重の9倍)の負荷がかかるという。「空へ」では、この模擬空中戦の
撮影のために、体力的にも技術的にも耐えうる空撮カメラマンとして
元戦闘機パイロットの赤塚さんが抜擢されたのだ。「ふだん私は一眼レフカメラで
静止画を撮影しています。約3キロのニコンを片手で操作しますが、
5Gかかるとすれば約15キロの重量にもなるんですよ」 赤塚さんは笑顔で
こう説明するが、激しいGを受けながら"重いダンベル"を片手で操り、
シャッターチャンスをひたすら狙う−狭いコックピットではこんな"格闘戦"が
行われているのだ。
空中戦の動画撮影は初めてだったという。
 「空中での動画撮影は、ファインダーから機体がずれてもカメラ位置を修正できる
一眼レフカメラと違い、慣れが必要でしたね。しかし、一眼レフと同様、飛行しながら
納得のいく映像をとらえられるのは一瞬しかありません。映画撮影の場合であっても、
あくまで空自の訓練の一環ですから、やり直しは許されず、チャンスは
そう何度もないのです」伝説のパイロットとのやりとりから生まれたタックネーム
「ニコン」赤塚さんは航空学生からF15のパイロットとなり、空自の百里基地に赴任した。
 そのときの部隊の直属上司が伝説の空自パイロット、"ロック岩崎"こと
岩崎貴弘さんだった。
 戦闘機パイロットは、無線で僚機パイロットなどと交信する際、互いに本名ではなく
愛称のタックネームを使う。飛行中、少しでも短い言葉で会話するためだ。
 例えば岩崎さんの場合、名字の「岩」の英語「ロック」を取り、タックネームはロック。
基地に着任した赤塚さんに、岩崎さんはさっそく「タックネームは何にしようか?」と
聞いてきた。カメラ好きの赤塚さんは「"ニコン"にして下さい」と即答した。 
すると、岩崎さんは「キヤノンではだめなのか?」とニコンのライバルメーカーの名前を
挙げてきた。 「私は幼いときからニコン一筋ですので」と言い切る赤塚さん。 
カメラ好きと聞き、岩崎さんは次に、「そうか。ではズームはどうだ?」と聞いてきたが、
赤塚さんはこう切り返したという。 「私は昔から単焦点レンズ派なので、ズームレンズは
使いませんから」 めでたく、「ニコン」が赤塚さんのタックネームに決まった。
カメラ好きのファイターパイロット"ニコン"が誕生した。

【銀幕裏の声】(下)空自「伝説のパイロット」は旧式機で最新鋭米軍機を"撃墜"した…
異色の航空カメラマン、師を語る


背面飛行のコックピット越しに海岸線のパノラマ風景が広がる(赤塚聡さん提供)
大空にスモークを引きながら編隊飛行を組むブルーインパルスの勇姿、雲を突き抜け、
垂直上昇するF15イーグル…。航空自衛隊の戦闘機F15の元パイロットという
異色の経歴を持つ航空カメラマン、赤塚聡さんが撮る空撮写真は迫力に満ちている。
航空自衛隊岐阜基地の近くで育ち、幼い頃から憧れたF15の戦闘機パイロットとなり、
意気揚々と百里基地に着任した赤塚さんが間近で見たドッグファイトの世界とは…
(戸津井康之)
伝説のパイロットとの出会い
 百里基地での赤塚さんの直属上司であり、戦闘機パイロットとしての師匠、
"ロック岩崎"こと岩崎貴弘さんは、なぜ伝説のパイロットとして名を馳せたのか。
赤塚さんが解説してくれた。まだ、空自が旧式の戦闘機F104スターファイターを
使用していたころ、最新鋭戦闘機のF15が米国からやってきた。模擬空中戦が行われ、
岩崎さんはF104に乗ってF15と対戦。このとき、岩崎さんは常識を打ち破る
飛行戦術でF15を撃破したのだという。 「岩崎さんは機体の小さいF104の特性を利用。
空戦中、レーダーを切って機影を隠し、F15の死角から迫り、レーダーをONに…。
F104を正面から見ると鉛筆のように小さいですから、目視では機体の大きなF15の方が
不利なんです。それにF15はF104に比べ、レーダー能力が圧倒的に高く、米パイロットは
機体の性能を信じ切っていますからね。岩崎さんは様々な状況を分析しながら戦術を
立てたのです。旧式の戦闘機に負けたことに米パイロットは大きなショックを受けたと
いいます」

空中戦で行なわれている飛行技術について赤塚さんは「ドッグファイトの科学」
(サイエンス・アイ新書)の中で詳しく解説している。狭いコックピットの中、激しいGに
耐えながら戦闘機パイロットは敵機や僚機との位置や距離を計算しながら瞬時に戦術を
組み立て、操縦しているのだ。岩崎さんは空自を辞めた後、米国で修行し、アクロバットの
パイロットに転向。世界の空で活躍していたが、平成17年、兵庫県豊岡市の但馬飛行場で アクロバットの練習中に墜落し、亡くなった。最期まで空に夢を賭けた人生だった。

空へ…いまだ夢の途上
 空自岐阜基地の近くで育った赤塚さんは3歳のころに基地祭に訪れたブルーインパルスに
憧れ、戦闘機パイロットになろうと決意したという。 父から譲り受けた一眼レフカメラを
持って、毎日、戦闘機の写真を撮るため基地に通い続けた。いつしか戦闘機パイロットへの
憧れとともに、「航空カメラマンもいいな」と思い始めていた。撮影した写真を航空雑誌に
送り続けていたところ、ある日、出版社から仕事の発注がくる。米軍の輸送機C130が
初めて日本の基地へ降り立つ姿を撮影してほしいという依頼だった。 
赤塚さんの撮影した写真と解説文は3ページのグラビア特集として紙面を飾った。
高校2年生での"プロカメラマンデビュー"だった。
 その後も航空雑誌からの発注は続いたが、大学受験を控えた赤塚さんにある特別な企画が
持ち込まれた。航空学生に合格するまでの体験記を掲載したい−。 赤塚さんは最終試験で
実際に練習機を操縦できると聞き、この依頼を引き受けた。そして見事、難関をくぐり抜け
航空学生に合格するのだ…。
 戦闘機パイロットと航空カメラマンという、幼い頃に抱いた夢を両方叶えた赤塚さんだが、
「同乗取材の許可は厳しく、その機会は実は少ないんですよ」と打ち明ける。
そして、激しいGや緊張に耐えうる体力、精神力を維持するためのたゆまぬ努力が
航空カメラマンには必要だという。 現在、空自創設60周年に合わせた空撮の取材が続く。
「空の上でのシャッターチャンスは一瞬しかありません。それでも空の上で撮り続けたい…」。
子供の頃に抱いた夢はまだ途中。空への憧れは尽きない。

政治 - 人気ブログランキング

自民党に対するご意見・ご質問

首相官邸に対するご意見・ご要望

各府省への政策に関する意見・要望



詳細は御入室御利用願います

2014 12 04 部外掲載
ページトップへ ▲


エスシステム (S System, Inc.)
〒811-1251 福岡県筑紫郡那珂川町松木2-230
TEL: 092-954-3267 FAX: 092-954-3237

copyright(c) ssystem, inc. All Rights Reserved.