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世界自動車戦争 (スズキが"世界自動車戦争"の鍵を握る理由!)

池田直渡氏のスズキ自動車の寄稿をご紹介しよう!
鈴木修会長とは、私(統括)が父の名代として販売代理店表彰大会の際、浜名湖の
うなぎを御一緒して馴染みのある、おやじさん(親しみを込めて)であるが、
いつまでもご健勝を願う!   池田直渡「週刊モータージャーナル」:以下抜粋

スズキが"世界自動車戦争"の鍵を握る理由

オペル・アギーラ(出典:Wikipedia
筆者プロフィール:池田直渡(いけだなおと)
 1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、
自動車雑誌(カー・マガジン、オートメンテナンス、オートカー・ジャパン)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。現在は編集プロダクション、グラニテを設立し、自動車評論家沢村慎太朗と森慶太による自動車メールマガジン「モータージャーナル」を運営中。  →メールマガジン「モータージャーナル」

これまで何度か書いてきたが、スズキというメーカーの価値を最も高めているのは性能と
低価格を両立しつつ軽自動車を作る技術だ。安く作れることは軽自動車メーカーとして重要なことだが、この10年、スズキはそれに加えて価格上昇を招かずに性能を高める方法を手中にした。

 そのきっかけを尋ねると、スズキのエンジニアは独オペルとの共同開発を挙げる。
オペルの実態は欧州GMだ。スズキはかつてGMと提携関係にあり、2000年代に旧東欧圏に販売する商品としてスズキの「スプラッシュ」を「オペル・アギーラ」としてOEM(相手先ブランド生産)することになった。

スズキのエンジニアによれば、アギーラの共同開発作業で、さまざまなカルチャーショックを味わったという。それは主に車両開発テストにおける操縦安定性の目標設定にあった。
これまでスズキ社内でよしとされてきたラインにオペル側から多くのダメ出しがあったらしい。

 オペルはGMグループだが、拠点はドイツにある。ドイツの設計思想は基本的に大鑑巨砲主義的なところがあり、多くの場面で問題点を解決するためにメカニズムを複雑にする。

 マルチリンク式サスペンションの生まれた国だということも頷ける。前後、左右の位置決めが必要なら2方向の動きにそれぞれ呼応するアームでそれをコントロールする。場合によっては追加された機構がネガを生み出すので、その対策としてさらに新機構を組み込む。
そういうエンジニアリングを見ていると、理知的ではあるが、どこか「バベルの塔」を連想させることがあるのだ。

 想像だが、オペルは問題解決のために、メカニズムの複雑化を求めたのだろうと思う。
ところが、スズキには揺らがない「どケチマインド」がある。問題点を把握しても、
その解決のために複雑な機構を採用してコストが上昇することをスズキはどうしても
是とできなかった。

文明の衝突が産んだ新しい価値
2014年の軽自動車税引き上げ騒動の最中で、御歳84歳の鈴木修会長兼社長が「軽自動車は貧乏人の乗り物」と発言して物議を醸した。しかし、それが大炎上に繋がらなかったのは、ひとえにスズキのひたむきな姿勢があるからだ。

スズキの鈴木修会長

 スズキという会社は自己肥大と対極にある。ゴーン以前の日産が「軽自動車を作るなんて沽券にかかわる」と言わんばかりだったのに対して、「スズキのクルマは高いと買ってもらえない」という思想が、信念に近いレベルで浸透している。そこには貧乏人に対する侮蔑のニュアンスがまるでない。貧乏な人こそがスズキを支えてくれているお客さまだという感謝の気持ちが常にある。だから、軽自動車は貧乏人の乗り物というきわどい発言が大炎上に至らなかったのだと思う。

 スズキは面白い会社だ。サプライヤーから部品を納入させるとき、普通のメーカーは入念な検査を行う。仕様を満たしているか、強度は十分か、耐久性は十分か、 そういう厳しい検査を行うのである。それでもなおタカタのような問題が発生することがあるので気を抜けない。

 これがオリジナルで作らせた部品なら当然、あるいは標準仕様をカスタマイズした場合も
それに準ずるだろう。しかし、汎用品をそのまま使う場合はどうだろうか。当然他メーカーで
採用実績があり、採用時に入念なテストが行われているはずである。それらの部品に
同じような検査を行ったところで意味はない。同じ手法で発見できない不具合は自社の検査でも発見できない。いわゆる冗長性の問題だ。にもかかわらずコストがかかる。「そんなものは止めてしまえ、その分安くなる」。スズキの徹底的な現実主義が垣間見える。

 さて、オペルとの共同開発の話に戻る。操縦安定性で、ダメ出しを食らったスズキは
悩んだ。オペルのいう通りに改善すれば、目標ラインをクリアするものができるだろうが、
それは全くスズキらしくない。スズキらしくコスト優先を死守しつつクリアできないものかと
あらゆる手を打った。そうしてついにオペルの首を縦に振らせるところまで持っていったのである。

 こうしてスズキのどケチマインドとオペルの要求ラインのすり合わせに成功したことで、
スズキは安価で高性能という新境地を切り開いた。これは自動車世界における「文明の衝突」だと思う。スズキの持つコスト優先文化と、オペルの持つ性能に妥協しない文化が
衝突し、新しい価値を生み出したものだと言える。サミュエル・P・ハンチントンは、第二次大戦後の世界は国家と国家の対立ではなく、文明と文明の対立によって形作られていると
語った。スズキとオペルの文明が衝突してできたクルマが、国家間の境界線が崩壊したEUで
販売されるのは興味深い。

インドマーケットのポテンシャル
こういう技術背景がスズキの核にある。その上で2015年現在、スズキを世界でも特別な会社にしているのはインドマーケットでの先駆者利益だ。スズキは世界中のメーカーが見向きもしなかったインドに誰よりも先に進出し、モータリゼーション発展のための種まきを長きに渡って続けてきた。その成果として今、インドの自動車マーケットを牛耳っているのである。世界中のメーカーがなぜスズキをうらやみ、場合によっては自陣に引き込もうとするのか。その理由はインドにあるのだ。

 本連載でも繰り返し述べているが、世界の自動車マーケットは3極体制だ。欧州、北米、
アジアの基本に加えて南米とアフリカが成長中で、いずれ5極になると言われている。
この中で、成長率を指針に見てみると、現時点で飛び抜けているのはアジアである。
欧州はそれなりに伸びているし、北米も現在は上昇局面にあるが、「向こう10年の伸び率でどこが重要か」と問われて「アジア」と答えない専門家は非常識だ。
それくらいアジアの成長率は飛び抜けている。

 では、アジアの成長株はどこか。日本、と言いたいところだが、日本のマーケットはシュリンクしており、残念なことに誰一人としてアジアの成長エンジンだとは思っていない。もちろん軽自動車を含めて年間530万台を売るマーケットを無視できないが、それはあくまで守りであり、攻めではない。

 では中国かといえば、中国はまた難しい。販売台数でみると2000万台を超えており、
米国の1500万台、日本の500万台と比べるといかに巨大マーケットであるかが分かる。
しかし、伸び率はもはや7%と、かつて2桁成長を当然としていたほどの勢いはない。
一方で、ナンバープレートの交付が抽選になっているなど、共産党の制約が解ければ
また往時の勢いを取り戻しても不思議はないのだが、交付規制の裏にはPM2.5(微小粒子状物質)の問題があり、国際的な批判にさらされる中、そう簡単に自動車の自由販売に踏み切れる状態でもないのだ。
 こうした中で、インドマーケットは世界中の自動車メーカーから熱い注目を集めている。
インドの年間販売台数はまだ300万台に満たないが、既にモータリゼーションの黎明期に
達しており、今後のマーケット拡大はもはやよほどのことがない限り揺らがない。
その上、人口は12億人。中国の14億人にこそ及ばないが、まだまだ人口は増え続けている。
いずれ中国を抜くとの予想もある。つまり世界で最も成長しているアジアマーケットにおいてその最大のけん引力になりそうなことがほぼ固まってきた次世代の最重要マーケットがインドなのである。

残り物には福がある
1991年の経済改革以来、インドは経済的に比較的オープンで、中国のように政府の意向で、民間企業の命運が左右される可能性は高くない。もちろん新興国によくあるように下級官吏の賄賂要求などの問題はあるが、それは新興国ではままあることで、共産党の腹積もりで
特定国の民間企業が焼き討ちになる中国とはリスクのレベルが違う。

 加えて労働単価も土地も安く、輸出拠点として見ても、アジアと欧州両極へアクセスできる上、次々世代の期待が高まるアフリカにもリーチできるポテンシャルがある。

 インドマーケットは長らく世界の自動車メーカーの空白地帯であった。戦前にGMやフォードがノックダウン工場を立ち上げたが、1950年代にはこれらは撤退。以後、自動車の輸入を
認めないという強い保護主義政策の中でインドの国産車のみが販売されてきた。

 競争の発生しない産業に発展はない。旧東ドイツが、1958年にデビューした「トラバント」を1990年代まで生産し続けたように、インドでは1946年に旧宗主国の英国でデビューした
「モーリスオックスフォード」を、インドの自動車メーカー、ヒンダスタンがノックダウンして「アンバサダー」として販売していた。これが信じがたいことに2014年まで続いていたのである。
ちなみに1946年の日本では、ホンダの創業者である本田宗一郎氏が自転車に発電機の
エンジンを積んだ「バタバタ」を作っていたころだ。


かつてのインドを代表するクルマ「ヒンダスタン・アンバサダー」。1946年に英国で発売された
「モーリス・オックスフォード」が元になっており、頑丈さがウリ(出典:Wikipedia)

インド進出に関する鈴木修会長のインタビュー記事はあちこちにあるが、1982年にスズキが
インドに進出した際、それがあたかも将来を見据えた戦略的進出のように語られることを
鈴木会長は強く否定している。

 「俺だって大手みたいに先進国に進出したかった。だけど軽自動車を作って欲しいなんて
先進国はどこにもなかった。仕方がないから、米国出張の直前に急にアポを入れてきた
インド政府の高官と会ってみた。行くところがないからインドに行っただけだ」

 インド側はインド側で当時欧州メーカーを中心に技術提携のアプローチをしており、鈴木会長との会見はことのついでのようなものだった。ところが、まだマーケットとしての未来が全く見えない1980年代のインドで自動車を作ってみようというメーカーはどこにもなかったのである。両者にとってこの「犬も歩けば」的、あるいは「残り物には福がある」的な出会いが後に、インドのモータリゼーション開花と、世界もうらやむスズキのインド市場の支配につながるのだから面白い。

インドに新会社を設立した理由
 スズキはインド政府の国民車構想に則って、インド政府76%、スズキ24%の出資で
立ち上げたマルチ・ウドヨク社で、軽自動車「アルト」のエンジンを800ccに拡大し、
インド国内で生産した「マルチ800」として売り出す。1946年設計の走るシーラカンス、
アンバサダーとの性能差は誰の目にも明らかで、なおかつ価格的にもアンバサダーの
3分の2でデビューしたマルチ800はインド市場を席巻していく。ピーク時には8割を
スズキ車が占めていたという話も耳にしたことがある。


インド国民にモータリゼーションをもたらしたマルチ800の後継車、「アルト800」

インド経済が改革に舵を切った1991年以降、世界中のメーカーが堰を切ったようにインドマーケットに流れ込んでいる。ルノー、GM、ダイムラー(ベンツ)、ホンダ、フィアット、ヒュンダイ、トヨタ、フォード、シュコダ(フォルクスワーゲン傘下)、BMW、三菱、マツダ、ボルボ、デーウ……という具合だ。これにインドの民族系メーカーであるヒンダスタン、タタ、マヒンドラ、フォースが加わって、マーケット争奪戦が過熱しているのだ。

 このインド自動車戦争の中で、スズキはそのシェアを徐々に落としつつある。いくら先駆者利益があろうとも、寡占状況であったときとは状況が違う。スズキは他社の追撃を振り切るために、スズキ本社主導で500億円の工場新設投資を行い、スズキモーター・グジャラード・プライベート社を立ち上げ、既存工場と合わせて年産100万台体制を敷いた。300万台のマーケットで100万台の生産体制がどれほどのことを意味するかは言うまでもない。

 ただ、普通に考えればインド政府と長年の信頼を築いてきたマルチ・スズキ社が主体となるべき場面である。なぜ、スズキは単独出資をしたのだろうか。

 マルチ・スズキが投資主体になれば、共同出資者全てが持ち株比率に応じた増資を行わないと、バランスが取れない。スズキだけが投資額を増やせば、他株主の持ち株比率が薄まってしまう。もちろん持ち株比率に応じた投資ができればいうことはないが、全投資者の足並みが揃うまで待っていたのではスピードが足りない。だからと言ってスズキの投資額を増やしすぎることで、足並みが乱れることは警戒すべきだろう。こうした状況を鑑みて、スズキは新会社を設立しての設備投資に踏み切り、マルチ・スズキの余力は広大なインドマーケットでの販売店整備に振り向けることにしたのである


スズキ「コンセプト・シアズ」。中国で発表した本格的セダン「オーセンティックス」のインド版として、
2014年のインド・オートエクスポに参考出品された

ASEANへの足がかり
さらに2015年6月、スズキはマレーシアのプロトンとの提携を発表した(関連リンク)。マレーシアには国策で作られた自動車メーカーが2社ある。プロトンとプロドゥアである。中型車と大型車はプロトンが、小型車をプロドゥアが作る方針でスタートしたこの2社は、現在では競合関係になっており、プロドゥアの筆頭株主がダイハツなのだ。つまりプロトンとプロドゥアの戦いはスズキとダイハツの代理戦争に発展しそうなのである。


スズキとプロトンの協業における調印式の様子

 現状のマーケットはプロドゥア有利に展開している。小型車作りのノウハウがあるダイハツの後ろ盾があるプロドゥアが有利になるのは当然で、プロトンはこの状況を脱するためにスズキとの提携を図った。プロトン車の市場競争力が向上することは間違いない。

 では、この提携がスズキにとってどんな意味があるかを考えてみたい。マレーシアはタイやインドネシアを含むASEANの一員で、ASEANの中では関税がかからない。つまり、スズキはこの提携でASEANの400万台マーケットへの橋頭堡が築けることになるのだ。

 インドでの優勢に加えて、ASEANへの新たな足がかり。2015年の今、スズキほど明るい未来が見えている自動車メーカーはほかにない。

 振り返ってみると面白いのは、世界シェアトップ争い3社のうち、フォルクスワーゲンとGMはかつてスズキとアライアンスを組んでいたことだ。GMはともかく、フォルクスワーゲンについてはスズキの技術を高く評価しての提携だった。もしフォルクスワーゲンが欲した通り、スズキを傘下に組み入れてグループの一員としていたら、今ごろはトヨタもGMも歯が立たない絶対王者として君臨していたに違いない。

 しかし、フォルクスワーゲンはイコールパートナーであったはずのスズキを支配すると言い出してスズキの逆鱗に触れた。

 もし、トップ3社のうちどこかが、スズキを傘下に組み入れることができたら、三つ巴の戦いは終焉するだろう。スズキがこのまま単独で世界マーケットを戦っていくのか、どこかと提携するかは分からないが、自動車業界のワイルドカードとして今後注目を集めていくはずだ。

スズキ社長に長男・俊宏氏昇格 修氏は会長兼CEOに
スズキは30日、鈴木修会長兼社長(85)が同日付で社長を退き、後任に長男の鈴木俊宏副社長(56)が昇格したと発表した。修氏は代表権のある会長兼最高経営責任者(CEO)として、引き続き経営に関わる。
 修氏は2000年にいったん社長から会長に退いたが、08年に健康上の理由で退任した津田紘・前社長に代わって社長を兼務していた。俊宏氏は東京理科大院理工学研究科修了。83年に日本電装(現デンソー)に入り、94年スズキに移った後、11年6月から副社長を務めている。


Hiro Taka 様のアップ動画のご紹介。(動画掲載申請中)
https://www.youtube.com/watch?v=Ek5OebM4BC4
関東大雪!ジムニーが牽引した車とは、samurai spirit「SUZUKI Jimny660cc


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2015 07 01 部外掲載
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